丙午(ひのえうま)のお話

2026年(令和8年)は六十干支における「丙の午年」になります。

丙午の年に出産を控えることがありましたが、どのような意味なのでしょうか。

 

出生数の落ち込み

皆さんもテレビ番組などで近年の出生数推移をご覧になったことがあると思いますが、60年前の1966年に日本の出生数が奇妙に落ち込んでいます。

 

この1966年昭和41年が「丙午」の年です。なぜこんなに落ち込んでいるのか不思議ではありませんか?

1966年の60年前、1906年明治39年の丙午も前年に対して7~10%ほど出生数が下がったといわれています。

これは丙午に生まれた女性は、「気性が激しく夫の寿命を縮める」という迷信が原因といわれています。

江戸時代、井原西鶴の「好色五人女」の題材にもなった放火事件の召し人である「八百屋お七」が丙午の生まれであったため妙に信憑性が高まったためらしいのです。

因みにお七は、天和の大火(1683年)で被災し家を失い一家で檀那寺へ避難します。その後、店は再建されますが避難先の檀那寺で恋をした寺小姓と再会するために放火事件を起こして刑死しています。

 

五行における丙午

まずは丙です。五行説によると丙は「火の兄」とされていますね。

五行配当図 十干

次いで午です。午も火の要素になります。

十二支五行配当図

つまり、丙も午も火。重複して火の要素が強い年になります。

火の要素は他の木、土、金、水より影響が出やすい要素といわれております。占いなどでは勢いがある、負けず嫌い、信念が強いといわれる一方、執着、怖さも兼ね揃えるという一面があります。(因みに「丁巳」も同様に火が重複しますが、こちらはお咎めなしです。フシギ。)

丙午生まれの人は気が強い、強すぎるといった印象を与えてしまいますね。

 

人への五行の配当は年だけにあらず

丙午の年まわりが火の要素が強すぎというのは解りました。会社の人事採用の先輩に聞いた話ですが、「その年その年の内定者はなんとなく共通する傾向がある」なんていうこともあったりするので同じ年生まれの人にはなにかしら似たような気性があるのかもしれません。

ところで五行の配当を人に当てはめるには、その人の生まれた年、月、日、時間、場所の情報が必要です。年だけでは足りません。

当店HPにある 自分で五行の要素をしらべる のページをご覧ください。

 

命式例

これは私の五行の配当表になりますが、年回りは「辛亥」で(何歳だかバレちゃいますね)土と水なのに、肝心の「天干」と「日」が合わさる部分が「丙」つまり「」の要素になっています。私の五行の配当は「火」ということになります。

人への五行の配当を充てはめるに重要なことは「天干」と「日」が合わさる部分の要素であり、年ではありません。

丙午うまれの方が五行の配当を調べると、年の列にある「天干」「地支」が火の要素になるだけです。重要な「天干」と「日」の合わさる部分がどの要素になるのかは、これから生まれるのだから「未定」ということです。

単純な話、丙午の生まれだからといって五行の配当が「火」になるとは限らないわけです。年だけの五行の要素では人の性質は左右されないということになります。

 

陰陽五行説の故郷では

陰陽五行説は現在の中国の地で生まれました。その現代中国では丙午の年回りと出生数に関係はあるのでしょうか?

政治的要因で出生数の落ち込みはありますが、丙午の1966年については前年より若干増えており、五行要素との因果関係はないといえるのではないでしょうか。

丙午に出産を控える習慣は日本だけの特殊傾向だといえそうです。

1966年丙午生まれの女性有名人

ここまで、陰陽五行説に沿って丙午を考察してみましたが、実際に丙午生まれの有名人をネット検索してみました。

  • 財前直見さん
  • 三田寛子さん
  • 小泉今日子さん
  • 川上麻衣子さん
  • RICACOさん
  • 松本明子さん
  • 広瀬香美さん
  • 益子直美さん
  • 森尾由美さん
  • 君島十和子さん
  • 鈴木保奈美さん

丙午生まれだからといって結婚できないわけでもありませんし、夫を苦しめているわけでもなさそうです。(個人的な見解です)

ほんの一例ですが、皆さん主義主張はしっかりされていて周囲に好影響を与えながら素敵な人生を歩んでいる方々に見受けられますね。

まとめ

丙午の1966年はカラーテレビの本格放送が始まった年になります。一般家庭でのテレビの普及率は2割ほど。そのうち白黒テレビが94.%でカラーテレビは0.3%しかありません。

以下は無用のことながら個人的想像です。

妊娠出産の準備段階であった1965年-1966年は想像するにラジオ全盛の時代だったのではないでしょうか。ラジオでうっかり確認もせずに丙午は「火」の年だから気をつけろ、60年前も出生数が減りました、八百屋お七もそうだったなど口を滑らせたのなら、人々が信じてもしかたがありません。それはおそらくは未確認情報の一部ホント一部がウソの質の悪い、いまでいうフェイクニュースだったであろうと思われます。

また、当時の時代背景に「婚姻が女性の幸せ」につながる唯一の道のような社会的観念があったために「生まれた娘に結婚相手が見つからなくなるかも」「娘が幸せになれないかも」という親御さんからの強い逼迫感が、丙午を極度に怖れた要因といえそうです。今はそんな考え自体が通じませんね。

丙午だからといって出産について恐れることは全くないのではないでしょうか。

 

もし、赤ちゃんの五行の要素をしらべてもらって丙午に更に「火」の要素が重複したならば、命名旗・名前旗は「土」の要素である茶系黄色系や「金」の要素である白地の旗地で中和してみてください。

「火」の要素である赤系ですと「火」の要素が重複しすぎて陽の気が高まりすぎてかえって陰になってしまいます。

「木」の要素である緑系ですと相生の関係で火の勢いが増してしまいます。本来は相生の関係はとても良い関係にありますがこの場合は強くなりすぎます。

「水」の要素である黒色青系ですと「火」を消してしまう相剋の関係で宜しくありません。

ただ、あくまでも陰陽五行説に沿った考えであることをお忘れなく。何かの思想に縛られる必要はないのです。参考にとどめていただければよいと思います。

 

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菱餅の作り方

菱餅の作り方

米粉を用いて簡易的に菱餅を作ることも可能ですが、ここでは本格的な菱餅の作り方を紹介します。

材料

もち米、くちなしの実、食紅赤(注1)、蓬(よもぎ)、菱の実 です。

注1:食紅赤は市販されているものですが、くちなしの実を材料に酵素をくわえて赤く発色させているものです。

桃色の餅

くちなしの実は予め粉砕し煮だします。すると鮮やかな黄色がでるので、そこに食紅赤をいれて桃色用の染液とします。もち米にこの桃色染液を浸して蒸しあげると鮮やかな桃色のもち米が蒸しあがります。

白色の餅

白色の餅には炊きあがったもち米に菱の実を細かく砕いたものを混ぜ込みます。そこから衝いて餅にします。

右:菱の実

蓬餅(緑)

もち米を蒸しあげたのちに、蓬を煮てミキサーにかけてペースト状にしたもの混ぜ込んで衝き上げて餅にします。

 

型入れ

一番上の桃色餅から型に押し込んでいきます。角に隙間の無いように押し込みます。
次に中段の白餅を型に押し込みます。
最後に最下段の蓬餅を型に押し込んでいきます。

型から出すとこのように巨大な菱餅が出来上がります。

これが菱形の良いところなのですが、菱形4つの辺において各辺の対面の辺に対して平行して2分割又は3分割して切り分けると、縮小した菱形に分割されます。

ひなあられ

「ひなあられ」も同じ材料で作ることができます。

関東のひなあられの場合は、乾燥したもち米を油で揚げたものに着色したポン菓子です。このお話は別の項で。

 

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菱餅 ひなあられ

菱餅

ひなまつりの際に飾る「菱餅」は菱形の特殊な形をしています。

巷にお菓子は数多かれど、菱形のお菓子はあまりありません。

菱形の意味

菱餅のこの菱型の形状には「魔除け」「邪気払い」の意味合いがあります。

なぜ菱形が魔除けなのか調べてみるとどうも「菱の実」の形が由来のようです。菱の実が硬くて尖っていることから意味合いが転じたのだと思います。節分の際に飾る柊(ひいらぎ)の棘が鬼を遠ざけるのに似た発想です。

実際に菱餅には粉にした菱の実が混ぜられていて効能として制ガン効果があるといわれています。(※すべてのお店の菱餅に菱の実が入っているか判りません、形だけ菱型のものが多いと思われます)

菱の実
菱の実

菱形は衣装の文様にも取り入れられていて平安貴族たちが普段から魔除けを意識していたのかもしれませんね。

菱形文様の意匠
菱形文様の意匠 源氏物語 六条院の生活 光琳社出版 より

 

菱餅の色

菱餅は上から桃色・白・蓬緑になっています。一説には桃色は梅桃桜の花、白は雪、緑は雪の下の草を意味していると云われますね。

菱餅 ひなあられ
菱餅 ひなあられ

その意味合いを持ちつつ、やはり魔除けの意味合いを併せ持っています。

  • 桃色:桃色の「赤」は魔除けそのものの意味合いがあります。染料のくちなしの実にも解毒作用があるといわれています。
  • 白色:清浄・純潔を意味するとともに、菱の実に血圧を下げる効果と制ガン作用があります。
  • 蓬色:強い香りが邪気を払うものです。

「ひなあられ」も同じ配色ですね。

神饌としての菱餅

神饌とは感謝を伝えることを目的に神様に対してお供えする食物のことです。

お節供の行事の際には神饌を用意します。神様をお招きして節会を催し神様と一緒に食事をして穢れを持ち帰っていただく。これがお節供の原型です。お供えした料理のお下がりを皆で頂戴して神様の御力を頂きます、これを「直会(なおらい)」といいます。

お正月は鏡餅を三方に載せてお供えしますが、神様にお供えする神饌はいつでも三方に載せてお供えするものです。

 

ここで雛人形の雛道具を思い浮かべていただきたいのですが、菱餅は菱台という盛器に載せられていて中央の三方には載せられておりません。三方は神様に食物やお酒を献上するための専用の盛器ですが、瓶子というお酒をいれる神具(雛道具にはなぜか花が挿してあります)が載せられていています。

実は、菱台とは「菱餅専用の三方」なのです。四角い三方の折敷に、菱形の菱餅を載せるには大きさが合わないためだと思われます。菱餅とはそれ専用の盛り器が用意されるほどの神饌なのです。

ひな人形には「直会」の姿が残っています。ひなまつりは「上巳の節供」といいますが、「ひなまつり」限定の神饌である菱餅をご家族皆さんで分け合って召し上がっていただきたいと思います。

 

 

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落ち葉掃除としめ縄飾り

正月事始め

年の瀬の慌ただしさの中、断捨離・大掃除が落ち着きましたらお正月の飾りつけをします。門の松飾りには年神さまを待つ意味があり、お迎えした年神さまはお正月の期間は鏡餅に宿るとされています。12月8日の「正月事始め」から大掃除に至る一連の作業は全て、年神さまをお迎えするための行事です。

  • 正月事始め 12月10日頃 ~ 12月28日

東大寺の大仏殿煤すす払いのニュースが流れてくる頃になると年神さまをお迎えするお正月の準備季節になります。大掃除から初めてお正月飾りを12月28日までには終わらせましょう。

 

年神さま

お正月は、年の初めに年神さまを家に迎えて一年の豊作豊漁を祈るものです。年神さまとは、新しい年の穀物の実りをもたらし、人々に命を与てくれる神であり、私たちを見守ってくれるご先祖の霊であると考えられてきました。春になると里に降りてきて田の神となり、秋の収穫が終わると山の神になり、正月には年神さまとして戻ってくると云われています。1月を睦月といいますが、お正月に年神さまと先祖の霊を皆で仲睦まじくお迎えするという意味があります。

一夜飾り

お迎えするのが急でバタバタしないように「一夜飾り」といって大晦日前日に慌てて松を飾ることを戒めています。現在の暦では12月は31日までありますが、太陰暦では30日が大晦日で31日はありませんでした。なので前日の29日に松を飾ることをいまだに一夜飾りといって避けるべき行いとしています。では、松飾りはいつまでにした良いのでしょうか。答えは「15日から28日までに済ませておく」です。現在はクリスマスという習慣が根付いているので、大半のご家庭では実際の片づけが25日以降になっているのではないでしょうか。仕事納めもありますのでご家庭で作業の分配をして、うまく年神さまをお迎えしてください。

お正月の餅は12月25日から28日の間についた餅が良いとされます。29日は「苦餅」、30日31日は「一夜餅」といい忌み嫌われます。30日はお正月前日ではありませんが、旧暦では12月31日は無いために30日も同義になります。飾りつけも同様で29日は「苦」、30日31日は「一夜飾り」となります。

年神さまは鏡餅に宿るとされています。できれば木製の三方に鏡餅をかざり、近くに命名旗、名前旗を飾ると素敵な室礼飾りになります。

上巳の節句

上巳(じょうし)とは

上巳は旧暦3月の最初の巳の日のことです。毎年変動するので便宜上3月の3日に固定したもので、女の子の健やかな成長と幸福を願うひなまつりの日です。

陰陽五行説によると奇数「3」は陽数です。この3が重なる3月3日は陽の気が強すぎてしまい「陰」に転じる悪日とされます。このような悪日に「神様をお招きし、料理をお供えして穢れを持ち帰って頂く」節会を催すのです。お供えした料理のお下がりを皆で頂戴して神様の御力を頂きます、これを「直会(なおらい)」といいます。

「雛あられ」「菱餅」などの神様へのお供えは、そのまま雛道具として残っていますね。

菱餅 ひなあられ
ひなあられ 菱餅

 

「ちらし寿司」や「蛤のお吸い物」などのひな祭りの特別な料理には、神様に召し上がって頂いた同じものをお下がりとして頂くという意味合いがあります。

蛤のお吸い物には、二枚貝の殻は他の貝殻とは決して合わないことから将来めぐり会う伴侶との良縁を暗示しているといわれます。

 

 

ひなまつりの原型

元は災いや穢れ(けがれ)を「ひとがた」「形代(かたしろ)」というひとの形にした紙に負わせて川に流す儀式でした。「夏越の祓」の際に神社でもらう形代に息を吹きかけて災いを移して水に流すものと一緒です。「流し雛」という形で現在に受け継がれています。

紙でできた形代
形代

平安時代の「ひいな遊び」というおままごと遊びと人形遊びが変化して、ひな人形に厄を引き受けてもらうようになりました。

流し雛

桃の節供

ひなまつりを桃の節句とも呼びます。これは旧暦では桃の花の開花時期にもあたりますが、という厄除けや神様に供える神饌の特別な果物にも影響があると思われます。

元は桃ではなく、香りの強い藤袴という水辺に咲く植物で邪気を払っていたという説もあります。

 

上巳の節句の室礼

ひなまつり本来の「邪気を払う」意味あいから、神様にお供えした食べ物を家族皆さんでいただく「節会」を催しましょう。

 

ひな人形を飾るときに一緒にお子様の名前を記した命名旗、名前旗を飾ってくことで、邪気払いの意味合いが強くなります。

お供えした食べ物は、お取り寄せしたひなまつり限定の和菓子です。器はひな人形のお道具を用いましたよ。活け花を飾るともっと良いですね。

 

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お盆

お盆も親戚縁者一同に赤ちゃんをお披露目する機会です。お母さんはお嫁さんとして忙しいでしょうから、命名旗にお披露目の仕事をさせて、 お休みするなりお手伝いするなりしてください。お父さんもお盆の挨拶回りが忙しいでしょうが、ご家族を労わってあげてください。 ご先祖様たちがおうちへ戻ってきているとされるお盆に是非、命名旗を掲げて下さい。滅多に会わない親戚一同もお子様のお名前と年齢を確認できます。

春のお彼岸

太陽がほぼ真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ同じ半分半分になります。夏至まで昼の比率が多くなっていきます。彼岸中日で、春分の前後3日間をあわせてお彼岸です。豊作を祈りぼた餅をお供えします。ぼた餅は「牡丹餅」と書きますが、秋分の頃になるとその名を「お萩(おはぎ)」と変えます。お墓参りでご先祖様の成仏を祈り、家族の報告をします。仏壇があれば命名旗、名前旗を傍らに飾り家族の無病息災を祈ります。

 

冬至のゆず湯と南瓜

冬至

年で一番夜明けが遅く、日没が一番早い日で、日照時間が年で一番短い日です。

この冬至を境に太陽の出ている時間が延びていくことから、底を打ってこれから上昇していく意味合いから古来より重要視された日でもあります。

 

陰陽五行説において冬至は陰の気から陽の気に変わる節目になります。「太陽が復活する日」として農業における再生を祝う大事な節気です。古今東西でも同じような意味合いがあり、キリスト教におけるイエスの生誕を祝うクリスマスの祭りはこの古代の冬至の日に敢えて設定したという説があります。

大師講と南瓜、小豆

冬至には「大師講」の行事を行います。「大師」とは弘法大師のような高僧のことで、各地の弘法大師信仰の広まりと共におまつりするようになったものです。小豆粥、南瓜料理をお供えしていただく他、「ん」のつく みかん、れんこん をいただく地方もあります。貧しい家に旅の僧(弘法大師)が宿をとる逸話では、貧しさのあまり塩も入っていないあり合わせの小豆粥でもてなしてご利益を授かったことから、この粥は特に「霜月粥」「大師粥」と呼び小豆、団子を入れていただきます。南瓜は「冬至唐茄子」「冬至南瓜」といわれ、昔から冬季のビタミン不足を補う効果が知られていたものとという説もあります。

でも、「ビタミン」という栄養素は明治45年(1912年)のエルマー・ヴァーナー・マッカラムの発表まで認識されていませんでした。日本の鈴木梅太郎による「脚気」治療のためのビタミン発見の方が早いのですが、それでも明治のお話でとても中世日本で栄養補給のため南瓜を食すと良いと認識されていたとは思えません。

冬至は冬の節気のちょうど中間にあたり「子」にあたり「新しい生命が種子の内部から萌し始める状態」で「水」の配当になります。南瓜、小豆の色が橙色赤色で、陰陽五行説においては「火」に配当され、冬至の正反対の位置関係で陰に極まった状態である冬至の気を「火」の気で緩和しようとする意図があるように感じられます。

 

ゆず湯

冬至の日の入浴時にはゆずの実を湯に浮かべた「ゆず湯」に入ると風邪を予防するといわれます。香りの強いゆずで「邪気」を祓う意味があると思われます。

 

酉の市

収穫祭の意味合いがあった酉の市

現在の東京都足立区にあった花又村の鷲神社(のちに花畑大鷲神社に改称)の近在住民の収穫祭が、現在の酉の市に発展していったとされています。秋も深まり、農作物の収穫が終わる現在の11月に、鎮守である鷲大明神に市がたち、農具や農産物を売る露店が立ちました。その中で売られていた農具の熊手が、飾り熊手に変化していきました。市で売られていた農作物の中には現在でも売られている名物があります。

頭の芋

大きな唐の芋「頭の芋」、この芋は八頭といい、古来より頭の芋(とうのいも)とも呼ばれ、人の頭に立つように出世できるといわれ、さらに一つの芋からたくさんの芽が出ることから「子宝に恵まれる」という縁起物です。

黄金餅

粟で作った黄金色の「黄金餅」も売られました。黄金餅は粟餅(あわもち)の別名といわれており、この粟餅は餅米5分に、粟5分の割合にして搗(つ)いて出来た黄色い餅のことを言い、この黄色が金色の小判に良く似ていたことから、お金持ちになるようにとの縁起で売られていました。現在、黄金餅(粟餅)を商うお店は無くなってしまったそうですが、団子屋さんを覗けばみつかるかもしれません。

切山椒

「切山椒」は上新粉に砂糖と山椒の粉を加えて搗いて薄く延ばして短冊形に切った正月用の餅菓子です。山椒は日本の香辛料で、葉、花、実、幹、樹皮に至るまで、全てを利用することが出来る落葉低木です。さらに、山椒の木はとても硬いのですりこぎや杖としても利用されています。このように捨てるところがない全てが利用できる(有益である)との縁起から切山椒が商われるようになりました。この切山椒は現在でも青、ピンク、緑にきれいに着色されたものが売られています。江戸時代には甘い菓子は少なく、祭や市などの時には甘い菓子が大変喜ばれ、参拝のおみやげに熊手と一緒に買われていたようです。

熊手

最後に農作物と一緒に売られていた農具である「熊手」です。もとは単なる落ち葉などを集める道具であった熊手が、「運」「金」を「掃き込む、かき込む」意味合いで飾り物に変化します。江戸市中からの参拝者が増えるに従って、実用的な熊手から江戸っ子が好む洒落がきいた縁起熊手へと変化していったと伝えられます。

酉の市の品を見ると「正月準備」の市のようですね。八ツ頭は現在でもおせち料理の中の一つですし、餅も祝いの料理です。熊手は落ち葉の多い晩秋に必須の農具でしょうが、年末の大掃除にも用いられます。人々がどれだけ正月を大事にしていたか当時の面影をしのばせます。

大鷲神社

足立区花畑の大鷲神社(佐竹扇を神紋にしています)を「上酉、本酉」、千住にある勝専寺を「中酉」、浅草の鷲神社を「下酉」と称しており、江戸時代から続いていた酉の市はこの3カ所でしたが、明治時代になり千住・勝専寺の酉の市が閉鎖され、花畑の大鷲神社と浅草の鷲神社とが唯一江戸時代から続く酉の市となりました。江戸時代の文献では「花又の鷲大明神」は鷲の背に乗ったお釈迦さまとされ、人々は「鶏」を献納して開運を祈り、祭が終了した後に浅草の観音堂前に放ったといわれています。因みに浅草の鷲大明神は鷲の背に乗った妙見菩薩とされています。

当時の浅草の鷲神社のすぐ隣には有名な吉原遊郭があり、酉の市には普段閉ざされている門が開かれて、とてもにぎわったという話が伝わっています。花畑よりも浅草の鷲神社が賑やかなのは吉原と相乗効果で大勢の江戸っ子が押し寄せたことがその所以なのかもしれませんね。

現在では全国各地の神社で酉の市が開きます。商売繁盛を願い縁起熊手を求める人でにぎわいます。この日は特別なお守り「かっこめ」という小さな熊手に稲穂と札がついたものが出されます。

小さな飾り熊手
かっこめ

 

熊手の粋な買い方

熊手は家内安全、商売繁盛を祈念し買い求めるもので、神社の社務所と授与される「かっこめ」が千円くらいです。そこからン十万円する高額な飾熊手までいろいろあるのですが、毎年買い替えるものなので、初めは小さい物を求め、徐々に大きくするのがよいとされています。売れすぎは2~5万円ほどだそうです。

これと決めた熊手があったならば、熊手屋さんと駆け引きの始まりです。どれだけ値切れるかは腕しだいです、うまくいけば熊手屋さんの気っぷのいい声が聞けるかもしれません。

値切った分だけ「ご祝儀」として店においてくるのが粋な熊手の買い方とされています。実質熊手屋さんの言い値で買ったことにはなりますが、お客様はご祝儀を出してちょっとした大名気分を味わい、熊手屋さんはご祝儀を頂いてより儲かった気分を味わったのです。その後、商いの成立を意味する手締め(手終い)を行い御家庭・会社の繁栄をその場の皆で祈念するのです。

 

熊手と名前旗・命名旗との飾り方

購入した熊手や授与された「かっこめ」は神棚や家の目立つ場所で高く掲げるように飾るものです。

当店では、季節の行事毎に名前旗、命名旗をだして一緒に飾ることを提案しています。酉の市の熊手と一緒に飾ることで、名を記したお子様が熊手にあやかり「福」や「お金」を掴み取れるという意味になります。ほかの年中行事よりも現世利益が前に出た祈りですね (;^_^A 。

かっこめ、熊手には持ち手があり、握るには良いのでが飾るには工夫が必要です。ここでは「かっこめ」を名前旗、命名旗と一緒に飾り室礼を整える礼を挙げます。

   

熊手の「柄」と「爪」部品を固定する横梁に隙間があるので、そこに紐を通して大きな輪を作ります。その輪の上端を旗竿の上部の溝に掛けることで一緒に飾ることができます。

 

年中行事の度にこうして名前旗、命名旗を飾ることで、お子様たちはご両親やご先祖の愛情を感じることになるでしょう。みんな元気に成長してね!

重陽の節句 後の雛

9月9日は重陽の節句と呼ばれる五節句の一つです。

陰陽五行説において奇数は陽数。九は陽の極致とされ陽を象徴する最も尊い数とされています。そのため五節句で唯一「陽」の字を充てられています。

ちょっと判断が難しいのは、陰陽五行説において奇数は陽なのですが、陽数が重なる3月3日、5月5日、7月7日の其々の節句において、陽数が重なると陽の気配が強すぎてかえって忌日になるので、桃の花、蓬や菖蒲、笹で邪気を払い神様を迎えて食事を共にすることで無病息災を祈るという説明があります。しかし、どういうわけか9月9日は単純に「陽数が重なってめでたい」となっていて個人的にものすごく疑問を感じています。やはり他の節句と同様に重なる陽数を忌日として菊で邪気を払い、神様をお招きして一緒に食事をして無病息災を祈るという方が判りやすいのですが。

後の雛

お彼岸をおえて丁度涼しくなったころに、半年間しまって置いたお雛様を涼しい風に当てて、湿気を飛ばし虫干しをする意味で菊の花と一緒にお雛様を飾る習慣のことです。

重陽の節句の際、宮中では宴会が盛大に行われていたようです。菊には邪気を払う力が宿るとされ、酒に菊の花びらを浮かべて飲んで延命長寿を願ったとそうです。

お家にあるお雛様に菊酒や菊のお茶などをお供えして、秋の夜長を楽しんでみてはいかがですか。

平安時代には菊の花を集めて綿を乗せ、菊の香りが移った綿で寝具を整える習慣があったそうですが、現在ではカモミール系のお茶や入浴剤で代用できそうです。おやつに菊の花をあしらったお菓子や夕飯に栗ご飯など季節のものをいただいて、お子様の命名旗、名前旗も掲げて家族の邪気払いと無病息災や長寿を祈りましょう。